空手道 拳成塾

拳成塾は、東京杉並区を中心に活動している空手道場です。

現在、サイトを更新作業中のためお見苦しい箇所があります。
何卒ご了承ください。

新型コロナウイルス感染症防止のため、運営形態が大きく変更となっております。見学・体験についてなどはこちらからお問い合わせください。

最新の拳成塾の活動についてはインスタグラムをご覧ください。

理念

「日本空手道拳成塾」では日本固有の武道空手道を通して、次代を担う青少年たちには「勝つことが全てではなく『諦めない心』と『負けぬ精神』」を、社会人の方々には体力維持と心身のリフレッシュに、また親子の方々には稽古を通して家族のコミュニケーションを育んでいただけるよう、目的別に複数のクラスを設定しております。敷居が高いと思われがちな空手を、身近に感じて楽しく稽古ができる環境を目指しています。

稽古とは

『道』と名が付くものは、『練習』と記さずに『稽古』と記します。稽古の語源には、古(いにしえを)稽(かんがえる)という意味が込められており、それは先人たちが築いた理念に想いをはせ、その道理を学び、己の心身を高めて行くという想いが込められています。また、稽古とは人生の成長(道)をあゆみながら、幼少期で感じること、少年期で学ぶこと、青年期で体現出来ること、壮年期で極めることなど、人生の節々で実感できる生涯を通しての修行でもあるのです。

武道が見直され始めている

いま、『自分の心と向き合い、逆境を乗り越えていく』その思想が見直されています。普段は助け合い、高め合いながら稽古を行う同士であれ、試合となると皆ライバルとなり、救いの手を差し伸べてはくれません。稽古で培われた己の精神力を頼りに心に宿す不安や恐怖心をぬぐい去り、相手と競う前に自分自身の心と戦わなくてはなりません。また、稽古は人に対して突く蹴るなどの危険な行為を行います。それは言うまでもなく、日常あってはならない行為です。しかし、今の世の中どのような非日常的危険が潜んでいるかも知れません。そのような局面に遭遇した際、極度の緊張と恐怖で冷静に対処できないものですが、非日常的稽古を日々行うことにより、万が一危険な局面に遭遇した状況でも、冷静に対処できるようになります。大切な人を守り、自分で安全を確保する、強い精神力は必要不可欠です。

律する心を養う

好きなことだけ行って楽しく人生を過ごせれば誰もが幸せですが、そんな都合の良い人生などありません。山あり谷あり、辛く苦しくとも立ち止まらず、少しずつでも前に歩を進めていかなくてはなりません。さもなくば、水は低い方向に流れていくように人の行動は楽な方へと流れがちです。子ども達は稽古を通して『流されない律する心』を養います。道場での挨拶や先輩後輩の上下関係はある意味社会の縮図であり、今後の人間関係の構築や心身の成長の戒めとなります。また、大人の方は、今社会で言われているところの、会社人以外でのあらたな生きがいや自分探求などの目標として、また運動不足解消と同時に護身の術を会得するなど、稽古を通して日常の一瞬でも背筋を正すことが新たな自分の成長にも繋がります。

文武両道とは

「文武両道」とは一般的には学業とスポーツの両立を示す言葉ですが、本来の武道と言う視点で捉えると、学業を修めるには武道で培われた『忍耐力』と『克己心』が必要であり、一方では武道を習得するためには学業で学んだ『知恵』と『論理性』が必要であると言えます。
つまり、『文・武』両方の知識と経験が相乗効果をもたらすということです。ひとつのことを深く追求することも大切ではありますが、言い換えればそれは出来て然るべきことです。2つの異なる事柄を同時に修めることで人間の心の幅と奥行きを形成すると言えます。

痛みを知る

空手の組手は痛さを伴いますが、それを実感することも大切な経験です。つまり、人を殴ればどうなるのか?殴られればどうなるのか?、身を持って知ることで相手のことを考えるようになり、安易に「暴力」という手段をもって解決をしようという考えを回避するようになります。ゲームのようなバーチャルな世界で戦っているのでは、痛みや辛さは感じ得ません。実際に身をもって経験することで、その時に生じる心と身体の痛みを知り、感情に身を任せ殴るのではなく、相手の立場や状況を冷静に感じ取り対峙することで尊重の念も養われます。

利害のない社交場

道場での門下生同士は、学校や学年が違ったり、様々な企業にお勤めの方や地域の人々が集います。子ども達にとっては、学校が違う先輩や後輩との交流があり、社会人の方はビジネス抜きの利害が存在しないナチュラルな交流があります。道場は武道を通して趣味や価値観が共感できる仲間と出会えたり、また塾長自らさまざまなご相談を聞いていただけます。そういう意味でも前向きな回答を得られる貴重な集いの場と言えます。